ハリル

 旧ユーゴ出身でフランス国籍を持つヴァイッド・ハリルホジッチ氏が日本代表新監督へ就任してから2カ月が経過した。前任のハビエル・アギーレ氏の八百長騒動という濁流に呑み込まれた日本サッカー界。嵐の後の結論として導き出されたのは、謹厳実直なる老将だった。

 1952年5月15日、旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツァゴビナ)に生まれたハリルホジッチ氏は選手としてはフランスリーグで確かな足跡を残し、 引退後は故郷へ帰還するも、そこで戦争という奇禍に遭遇。戦火を避ける形でフランスへ舞い戻ることになってしまった。フランスでコーチとしての実績を積み上げ、モロッコを皮切りに、トルコ、サウジアラビア、コートジボワール、クロアチア、そしてアルジェリアで外国でも指導者としての実績を積み上げてきた。

 キャリアにおける最大の成功は、62歳になった直後に迎えた2014年のワールドカップにおけるアルジェリア代表の16強進出だろう。決して前評判の高いチームではなかったが、優勝したドイツを決勝トーナメント1回戦で土俵際まで追い込み、チーム一丸で勇戦奮闘を続けるチームは世界中の喝采を浴びること となった。

 そんな指導者が日本にやって来て、いきなり“つかみ”に成功した。

 日本の新たな指揮官が初めに打ち出したことをシンプルに言ってしまうと、「俺も働くから、お前も働け」ということだろうか。

 これまで日本代表監督は代表としての活動がない時期は、実質フリータイムだった。それぞれの監督がそれぞれの判断で職務をこなしていたのだが、基本は在宅勤務。言葉は悪いが、サボろうと思えばいくらでもサボれる環境である。だが、これをいきなり排除した。日本サッカー協会への要求は金銭でもポストを増やして自分と親しいスタッフを据えることでもなく、監督室の設置。常勤体制を整えて、「勤務」することを宣言したのだ。

 楽な環境を自ら破棄する「勤勉宣言」は内部的にも驚嘆をもって迎えられた。日本人はやはり真面目な人が好きであるし、敬意も抱く。就任早々の3月19日に行われた最初のメンバー発表記者会見では、そんな新監督の特徴を印象付けるコメントがあった。

 「このメンバーリストを作るために、スタッフが寝ずに準備をしてくれた。各個人に役割があってそれを要求している。そして本当に協会の人が寝ずに多くの仕事をやってくれている。それにはショックを受けた」

 これを“ちょっといい話”と解釈するべきなのか逡巡してしまうが、褒められたスタッフにしてみると、悪い気はしない言葉だろう。自らハードワークを実践し、部下にもハードワークを求める。どうやらこれがハリルホジッチ監督の基本軸だ。

 代表合宿がスタートしてからも、周りを驚かす出来事があった。なんと代表選手に混じって62歳の指揮官は一緒にランニングに参加。当然のように周回遅れ になってしまうのだが、それでも最後まで走り切る姿勢を見せて選手たちを鼓舞した。練習に訪れていたファンもその様子に感銘を受けていたほど。そして試合では、本田圭佑と香川真司という日本の二大スターをいきなり先発から外し、公平な競争が始まることを、言葉を使わずに宣言。停滞感のあったチームに火を付けてみせた。

 ハリルホジッチ監督が就任から一貫しているのは、「やる気」(これはどうやら監督の口癖だ)を示すこと。4月11日には「日本サッカーを理解するため」として高校生のリーグ戦にまで顔を出し、関係者を驚かせた。

監督が「いま日本のフットボールは少しデリケートな状態になっています」と語るように、日本サッカーの現状は好ましいものではない。これから少子化の影響は確実に出てくるだろうし、日本経済自体の地盤沈下はJリーグにも波及している。経済力でアジアの追撃を受けることは、サッカー力での追撃を受けることでもあると痛感させられる状況も続いている。

 そうした日本サッカーについて「私は厳しいことも言います」と語るハリルホジッチ監督だが、同時に「批判するのは簡単なんです。でも一緒に働いているの ですから、ディスカッションしていかないといけない」とも言う。厳しく言うし、ハードワークも求めるが、「一緒に戦う」という姿勢は崩さない。どうやらこ れがハリルホジッチの流儀のようである。

川端暁彦
1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。2002年から本格的にフリーライターとして育成年代を中心とした取材活動を始め、2004年10月に創刊 したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。 2013年8月をもって野に下り、フリーランスとしての活動を再開。育成年代も勢力的に取材している。

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